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御祭神
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須佐之男スサノヲのみこと】 ・ 【宇迦之御魂ウカノミタマのみこと



須佐之男スサノヲのみことは、『天照大神』、『月詠大神』の弟君で在られ、
所謂『三貴子みはしらの うずのみこ』の御一柱であられます。
当神社には鎌倉時代に、武蔵一ノ宮『氷川神社』より御分霊が勧請されました。
以来、800年を経た現在に至るまで、厳粛に御祭りされています。


また、宇迦之御魂ウカノミタマのみことは『稲荷神』『宇賀神』とも敬称されておられる穀物神であられます。
または『お稲荷様』と呼ばれ、古来より庶民信仰の中心的存在であられました。
当地には、平安時代に『伏見稲荷大社』より勧請され、
以来、1100年の長きにわたり御鎮まりになっておられます。






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千住神社 御由緒
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当神社の創始は、千住に集落の形成され始めた『延長四年丙戌年 (西暦926) 』である。

五穀豊穣ごこくほうじょうと土地の鎮護ちんごを祈った開拓民達は、伏見稲荷よりの分霊を勧請かんじんした。
その御霊をもって『千崎』の地に『稲荷神社』を創立したのが嚆矢こうしである。

時はくだり、永承六年 (1051) 。

『八幡太郎』源義家みなもとのよしいえは、奥州征伐の際、現在の『千住大橋』付近より荒川を渡り、『千寿二ツ森』(現在の千住神社)に陣営を構えた。
その時、稲荷神社の神前にて戦勝を祈願した事が古記録に記載されている。

更に時はくだり『弘安二年巳卯年 (1279) 』。
千住の人々は、武蔵一ノ宮『大宮氷川神社』よりの分霊を、当地に勧請し『氷川神社』を創立した。
稲荷の宮と氷川の宮の二座が鎮座した為、当地は鎌倉時代から江戸時代にかけて『二つ森』と呼ばれた。
旧考録には、【代々の将軍が二つ森にてしばしば鷹狩りを行った】と伝えられている。

寛永年間(江戸初期)に到って、千住が日光街道の第一宿となる。
当神社はその西方にあるために『西の森』とも呼ばれ、享保十二年(1727)稲荷、氷川両社とも正一位に叙せられた。

明治五年。

稲荷神社、氷川神社とも『村社』となる。 続く明治六年に、稲荷神社が氷川神社に合祀され、足立区最高唯一の『郷社』となる。
また、合祀に伴い社名を『西森神社』とした。

更に大正四年十二月十五日。社名を 『千住神社』 と改め、
千住一丁目、千住二丁目、千住中居町、千住龍田町、千住柳町、千住緑町、千住寿町の産土神社として現在に至る。

     

三ノ鳥居より御社殿を臨む

※拝殿左の『授与所』にて御由緒書きを配布しております。
ご参詣の際は是非、お立ち寄り下さい。

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